分とく山 総料理長の講演会
2013年 02月 27日
「分とく山」総料理長 野﨑洋光さんは「までい」に生きる暮らしを提唱されています
「までい」とは福島の方言で「ていねい」という意味があるそうです
丁寧な暮らしとは、われわれ「愉遊と・・・」が追い求めているものとつながるのではないかと
講演を聞きに行ってきました
食文化の歴史から
今後食糧難の危機にさらされるお話し
食品表示の恐ろしさやら
サバの煮方からだしの取り方まで
あっという間に二時間が過ぎていきました
心に残った言葉がたくさんあったのですが
特に五つ印象に残ったお話しがありました
日本の食文化の奥深く素晴らしい点として
他国では大体冷たい陶器を使われますが
日本では、食材の温度に合わせて陶器、磁器、漆器、竹、ガラス・・・など使われていること
少し前までの日本人は手まめにものを作り、母親から物がなくても生きていける知恵をさずかってきた
けれど便利になると共に、それが薄れてきているということ
顔のみえる生活
大切なひとの為に作る食事 つまり食の原点は家庭にありということ
しあわせがあたり前過ぎて しあわせを見失っていること
ピアニストの辻井君は見えないのに見える
私たちは 見えるのに見えない 聞こえるのに聞こえないことがあるということ
つなげていかなければ と改めて思いました
日々丁寧(までい)な暮らしをこころがけます
「までい」とは福島の方言で「ていねい」という意味があるそうです
丁寧な暮らしとは、われわれ「愉遊と・・・」が追い求めているものとつながるのではないかと
講演を聞きに行ってきました
食文化の歴史から
今後食糧難の危機にさらされるお話し
食品表示の恐ろしさやら
サバの煮方からだしの取り方まで
あっという間に二時間が過ぎていきました
心に残った言葉がたくさんあったのですが
特に五つ印象に残ったお話しがありました
日本の食文化の奥深く素晴らしい点として
他国では大体冷たい陶器を使われますが
日本では、食材の温度に合わせて陶器、磁器、漆器、竹、ガラス・・・など使われていること
少し前までの日本人は手まめにものを作り、母親から物がなくても生きていける知恵をさずかってきた
けれど便利になると共に、それが薄れてきているということ
顔のみえる生活
大切なひとの為に作る食事 つまり食の原点は家庭にありということ
しあわせがあたり前過ぎて しあわせを見失っていること
ピアニストの辻井君は見えないのに見える
私たちは 見えるのに見えない 聞こえるのに聞こえないことがあるということ
つなげていかなければ と改めて思いました
日々丁寧(までい)な暮らしをこころがけます
by yuyu-to-minomi
| 2013-02-27 12:58
| 暮らしの中で